死後の世界とは

独自解釈による「死」に関する疑問を考えます。宗教的なことには興味ないのと都合の良く考えず何となく、そうかも!みたいな感じで。どうせ死後の世界なんて誰も知らないので・・・。都合の良い作り話しを書くつもりありません。死後のコーナーは管理者の独自な考え方で反論も多いかも知れませんが自分なりに確信を持って書いてます。
 
飼い主が死を迎える時
最初に今は亡き愛犬の飼い主であった私たち人間の死について考えてみます。核家族化や独身のまま独り寂しく孤独死を迎えるのが普通の時代になりつつあります。でも心配しないでください。私たちには共に信頼した愛犬がいました。たとえ何十人に看取られようが、ひとり死を迎えるのは怖くて孤独でしょう。しかし、どんな環境で死を迎える日が来ようが私たちが歳を取り死を悟った時に「虹の橋」から愛犬が迎えに来てくれます。それは死までの数分前か数日前なのかは分かりません。
あなたが愛した愛犬は最後まで寂しくないように寄り添ってくれるでしょう。待ってくれる愛犬や人がいるのは幸せなことです。どんな環境であっても、それは決して孤独死ではありません。まだまだ遠い未来の話しです。今は自然に歳を取り、また愛犬と再会できる、その時が来るまで心穏やかに生き抜くことを考えましょう。あなたの愛犬達が一生懸命頑張って生きたように。
 
幽体離脱体験談

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これは私が6才の時に1週間入院した時の話しです。今と違い情報社会でもなく年齢も含め、それが幽体離脱だと知ったのは数年後でした。その事実を知った時、曖昧だった当時の記憶を鮮明に覚えていることに気が付きました。
 
入院当日トイレに行こうと一人で病室を出て廊下を歩いていると気分が悪くなり、その場に倒れました。意識が薄れ倒れる感覚と共に意識が抜け天井に移動しました(真上です)。
周辺がザワザワ騒がしくなり廊下の向こうから医師と看護婦が歩いてこちらに近寄って来ました。次の瞬間、意識は一瞬途絶え病室に移動します。(きっと重要でない部分は忘れるんでしょう?)
 
二人部屋の左側が私のベットです。入院当日だったこともあり、母親と医師と看護婦が心配そうにベットの私を見ています。幽体としての私は病室左隅(反対側)の天井に、あぐら状態で浮いています。「心配しなくても、ここに居るのに」と不思議に感じたことを覚えています。意識のない自分の寝顔を見ました。
それが自分だと判断しているのに不思議と思う感覚はありません。鏡なしで自分の顔を見たのは面白い経験です。あたふた心配する母親を見ながら幽体の私は意識がハッキリあるせいか冷静に部屋の隅の上から見てました。見ること考えることは普通に出来たけど音が聞こえていたかは微妙です。聞こえていた気がするだけかも知れません。
意識のない抜け殻の私は医師に酸素マスクを付けられてました。酸素マスクは医師が手で押さえ付けてます。次の瞬間、幽体の意識が薄れます。貧血状態と同じ症状です。幽体が見ている景色も薄れ始めます。一瞬真っ暗になると医師の声が聞こえました「もう大丈夫です」。意識はベットの上の自分に戻りました。気を失った感覚すらなく一部始終を見ていたので安心した母親の顔を見ても何も感じませんでした。

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特殊な日本の宗教
世界には日本では少数のキリスト教を始め多数の宗教が存在します。
日本では主に葬式で世話になる仏教が主流かと思います。お坊さんには犬の葬儀で世話になる時代になりましたが、本来仏教では神と人間以外の生き物は畜生であり死後は悪霊として扱われたりします。犬は人間の守護霊になれないのが定説でしたが、時代なのか?今は仏教の教えも都合よく変わりつつあります。
 
日本には仏教の寺と、神教(神道)の神社があり都合よく使い分け神と仏を並列に崇める変わった風習があります。何の疑問もなく初詣は神社に、墓参りに寺へ行きます。神道は宗教と考えない方が良いかも知れません。日本の神話時代から現世まで繋がります。神道に宗派は存在しません。神道・神社を納める神主、その最高位は天皇です。天皇は神の子です。現在女系天皇を認めるか問題になったりしますが、強く反対する人物を頑固爺と決めつけるのは可哀そうとも思えます。先祖代々皇室に使え神話時代からのルールを継承する責任者は最後のひとりになっても守ることが宿命かも知れません。
 
神社には狛犬などの石造が2体あるのを見かけます。明治時代までは「神仏習合」らしく寺の中に神社があったり寺院にも狛犬を見ることは出来るようです。名残はありますが今は多くが寺院と神社は分離しています。
 
寺院には仁王像あったりするし曖昧ですね。狛犬は神の使いとして祀られる空想上の生物で、神社の門を鳥居なんて言ったり、神社は動物の扱いは悪くない気もします。日本人だし新興宗教や霊感商法にハマるくらいなら(自由ですが)、たまには神社で今は亡き愛犬に話しかけるのも悪くないかも知れません。
 
宗教・思想の自由があり、この辺にして。次回は更に考え方の異なる死後の世界論で亡くなった愛犬との付き合い方を考えてみます。
最終更新日:2017/6/27
 
死後の世界は存在するのか:2021/3/28
臨死体験者が語っても実際死んでないわけだし宗教的には存在するのでしょうが、個人・思想の自由なのかも?残念ながら死後の世界は論理的に証明されない以上、存在しないことになります。
おそらく想像するような天国も虹の橋も存在しないかも知れない。全て最後は無の世界なのかも知れない。それでも人間は遥か昔から天国の存在を望み神の存在を信じ続けています。信じることは大切で重要なことです。
 
可能性としては死後の世界の1日は現実世界の1年と言われていること、愛犬と虹の橋を渡れる可能性が!虹の橋が精神世界であれば飢えや身体の苦痛から解放された理想郷とも言える。ただし魂とて存在するにもエネルギーは必要だ。エネルギー補給は出来ないだろうから長期間の存在は無理なことになるが実世界と時間軸が違えば再会の可能性はあるのも知れない。信じよう。時間軸が違っても時間は一つ同じ時間上にあり同じ時間軸になった時に会えるはず!
 
人間を含めた生き物にとって天国も虹の橋も必要である以上、なにか有るはず、きっと有るのだろう。
 
科学な話し:2021/3/28
アルベルト・アインシュタイン(1879~1955)相対性理論「光は万物の中で最速であり、何も超えることはできない」。
光の速さは秒速30万キロ、1秒間に地球7周半。地球上から見る太陽は8分前の太陽、それくらい太陽ですら遠くにあります。夜空に輝く100光年先の星は100年前の残像、実は既に存在していない可能性もある。イスカンダルまで14万8千光年、光の速さでも往復30万光年。単純に光の30万倍の速さで1年間1秒も休まず常に移動しなければ!のんびりバラン星でドメル将軍と遊んでいる余裕なんてありません。実際1年で往復出来たとして、ヤマトは相対性理論により地球は百億年以上経過しておりヤマトは「猿の惑星」となった地球に帰還することに。劇場版を見習い2時間で往復すれば地球を救えるかも知れない?頑張れヤマト!
 
遠まわしに話しましたが、光速を超えるのは不可能としても光速に近い乗り物では外と中で時間差が発生します。タイムマシン!光速の乗り物から降りると外は未来です。仮に光を超える乗り物(ワープ)も行き着く先は未来です。過去に戻るタイムマシンは存在しません。完全無欠な片道切符です。未来を知っても過去に知らせる方法すらありません。
 
雑談(前回の続き):2021/4/10
話しが中途半端なので前回の続きです。ヒコーキや新幹線も高速で動く閉空間という意味ではタイムマシンです。 外と中で微妙な時間差が発生します。しかし10年間で1秒とか短い時間差です。光を超えるマイナス速度が存在するには、架空のタキオン粒子を浴びる必要があります。 ただし、これでも過去には行けません。ここから先は全て仮定の話しであり個人の見解です。仮に過去に行ける(時間をさかのぼる)タイムマシンが開発されたとことにします。10年前にタイムスリップ!タイムマシン内部は10才若返った搭乗者はタイムマシンを使った記憶すらない10年前。当然ですがタイムマシンの外は何も変わらず時間経過しています。そうか中と外を逆にすれば!!!無理です。無限に広がる大宇宙が全て対象になり、それを包む入れ物が最低限必要です。時間の逆行は世界・全宇宙の崩壊を意味します。
 
「100メートル世界選手権決勝。スタート5秒前。早くもゴール地点に選手が居るようです。」この選手、5秒後のスタート合図の時点でスタートラインに存在する(戻れる?)のでしょうか?加速装置を使おうが瞬間移動(ワープ)しようが時間は前にしか進みません。時間は全宇宙・死後も現世も一つしか存在しない。過去も未来もなく今しかありません。
 
存在しない世界①:2021/6/10
話個人的な意見としては、死後の世界、天国、虹の橋、神様、全て存在しないと思います。 見たことがないだけで絶対にないとは言えないし、宗教も神も信じるのは悪い事ではないし正しく生きる道しるべとして生きるうえでも大切なことです。最後に行き着くのは死んだらどうなる?何故生きるのか?生きる意味とは?多くの人が何度も自分自身に問い掛ける永遠のテーマです。 おそらく都合の良い楽園のような天国は存在しないと思う。宇宙含め世界は一つ、時間も一つだけ、今は今の存在だけが唯一の存在。別な空間に死後の世界や天国が存在すると考えるのは無理がある。架空の空間に別世界があるのは説明も証明も無理がある。無の世界も無である以上存在しません。亡くなったのだから存在しない。普通に考えて当たり前のことだと思う。都合よい矛盾は嫌いです。
 
「矛盾した変な言い方をすると、無人島には人は居ない。無人島に漂着すると無人島じゃなくなるから無人島に行くことは出来ない。(実際の無人島の定義は定住者がいない島。なので無人島に漂着できます。) 常に短い文章を心掛けていますが、前書きと余談で今回は本題に進む前に終わりです。 今回のテーマ「存在しない世界」この言葉が重要な意味を持ちます。 所詮個人の憶測と根拠のない自信だけで書いているので適当に読んでください。
 
存在しない世界②:2021/6/17
前回は夢も希望もない書き出しでおわりましたが、古代文明国家アトランティスも巨大恐竜も戦国武将も今は存在しません。 勿論亡くなった愛犬も今はもう存在しません。でも過去に存在していたのは事実です。臨死体験は個人的には脳が死を回避する防衛本能の幻影だと思います。三途の川や会ったことない祖父を見た等の共通点があったりしますが国の違いによって三途の川ではなかったりするので潜在意識が見せている気がします。ただし無意識に生きようとする意志の力が見せていると思われるので嘘でなく頭の中では実際見ていると思います
「問題は幽体離脱です。これは否定するには説明が難しい。意識だけが肉体から離れ意識のない状況を全て見ていて覚えている。幽体離脱中は意識が幽体にあることを自覚し意識の抜けた肉体を何の疑問も持たず冷静に観察します。幽体自体の容姿もハッキリ認識し状況を理解して冷静に観察しているのは経験者共通です。幽体離脱中に幽体自体も見えている?全体の位置の把握や周りの状況、意識のない肉体も何故か冷静に観察。幽体が現実世界から見えないのは何故か。霊や魂(たましい)は存在するのか。少なくても天国や霊界が別な世界や空間に存在する考えには無理があり世界も時間も一つしか存在しない。次回は残された可能性を考えてみたい。
 
存在しない世界③:2021/7/11
数年前に死後数分は聴覚が生きていて聞こえている。と研究発表が話題になりました(数時間という説も)。幽体離脱も実は意識のない状態で聞こえる音だけを頼りに脳が状況を映像化している可能性も有り得ます。幽体離脱を否定するなら、それで構いませんが多くの経験者は斜め上の部屋の隅に幽体を実感し状況や風景を正確に覚えている点など視点が肉体から離れているから聴覚からの映像化は無理があると思います。
幽体→幽霊→霊魂→魂(たましい)、これらは同じもの、かも知れません。生物が死ぬと重量が少しだけ軽くなる。これは魂が抜けたことによる。との説も有ります。肉体は魂の器(うつわ)。幽体には戻る器(肉体)が存在し、死後の魂は機能を失った器に戻ることは出来ない。幽体離脱、魂の離脱。同じ原理なのだと個人的には思います。肉体は魂の器との考えが成り立つなら。魂の世界が存在するのだろうか。世界は一つ、時間は一つ。おそらく魂の世界なんて都合よい精神世界は存在しない。もっとも幽体も魂も物質としては存在しないのだから当然で仕方ないのかも知れません。物質世界の他に精神世界が存在する証拠の証明も誰にも出来ないと思います。幽体が存在するなら魂も存在する、どこに??虹の橋は愛犬の魂は何処に?
 
存在しない世界④:2021/8/9更新!!
肉体から魂が抜ける時(離脱する時)、魂は置いて行かれるのではないかと思われます。言い換えれば魂は肉体から取り残され、ほんの一瞬だけ魂は過去の存在になる。過去に存在してたが今は存在しない。未来はいずれ訪れ見ることが出来るが過去は過ぎ去った時間で見ることは出来ない。一瞬過去にいる魂は常に現在の残像を見ているので現在に干渉することは出来ないし追い付くこは絶対にない。現在から見て、存在しない魂の世界。魂(霊)はズレた世界に存在し時間の感覚も失うので状況によっては長い時間ほぼ停止した時間をさまよい続ける。半数程度の心を持つ生き物は亡くなった後、魂として一瞬過去に存在し続ける。不自由な肉体も飢えもなく虹の橋とも言える環境の一瞬だけ過去にある精神世界で大好きだった存在のすぐ近くで見守り続ける。(存在エネルギーは対象相手が忘れず想い続けてくれること、忘れることで存在意味を失い魂の存在も薄れ無くなります。)
霊感の強い人は何かしら感じるのかも知れない、ただし存在する時間が違うため見るとこも意思が伝わることはない。このズレた時間は、お盆や命日など限られた期間だけズレ量が減ると考えれば、つじつまが合う。写真やビデオ撮影の映り込み心霊写真もレンズを還した映像取り込み時間差が偶然に魂の世界に近づくレアケースなのかも知れない(写真も映像も過去を見る道具です)。けっして手の届かない目の前に愛犬の魂は存在しているのかも知れません。次回は虹の橋について考えて「死後の世界」を終わりにしたいと思います。
 
それではまた次回?!